並松の太鼓台

法隆寺銀座・並松商店街、並松町の由来
《伝説−弘法井戸・業平の姿見井戸》

◆現在、並松街道西の端に続く五百井戸(ごひゃくいど)は、弘法大師(774〜835)が500番目に掘られた井戸と伝える。(聖徳太子説もある)また、平安初期の歌人・在原の業平(ありわらのなりひら825〜880、「伊勢物語」の主人公という美男子)が、現・天理市善地の本櫟本の住まいから高安の恋人河内姫のもとへ通う道すがら、水面を水鏡としたという五百井戸を業平姿見の井戸とも伝えている。
◆昔から、どんなに日照りが続いても涸れることがないという五百井戸。奈良街道(大坂街道)に面して、コンコンと清水が湧いている井戸周辺に集落が発生したのであろう。旅人の休憩茶店もあったに違いない。
◆並松(なんまつ)の名前の由来は定かではないが、法隆寺参道の松並木の入り口に位置する集落であるから名付けたのだろう。

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