西里の太鼓台

古代寺工の村・西里の由来

西里集落の元祖は、聖徳太子が斑鳩寺(=若草伽藍・法隆寺)を創建された頃に発生したのだろうか、人はBC1000年頃(縄文後期)、いや、もっと以前から住んでいたのかも知れない。西里遺跡(現・西里自治会全域)では、町教育委員会により発掘調査が続けられている。
西里は奈良・平安時代は大和国平群郡の夜摩郷と坂戸郷と呼ばれる地域の境界にあるようだが、古地名が山際とあるから夜摩郷に属していたのであろう。鎌倉・室町時代(中世)は、斑鳩の住人は法隆寺とその鎮守社・龍田神社への信仰を通じて、祭礼・催事に寺僧によく協力していたようで、人々の生活に大きく関わりを持っていた。西郷が西里として残り、東郷が東里として残ったのであろう。西里の名は天永2年(1111・平安後期)4月、開浦院住職の解に初見する。

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