〜〜 法隆寺の門前町・三町の由来〜〜
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聖徳太子が推古9年(601)に斑鳩宮(現・東院伽藍付近)造営にかかられ、同13年(605)に斑鳩宮にお住まいになった。そして、創建斑鳩寺(=若草伽藍・法隆寺)が同15年(607)に完成する。その頃、寺の前には集落があり、飛鳥の都に次ぐ渡来人が往来する古代国際街であったであろう。
◆延宝6年(1678)、延宝検地帳に法隆寺村総戸数477戸(同5年)とあり、本町64戸・藺町13戸・魚町23戸とある。本町・藺町・魚町を称して三町と呼んだ。藺町は田んぼに藺草(イグサ)を植えて仏前灯明や生活行灯の灯心(イグサの芯)づくりをした町。魚町は商家が増えて食物も魚介類の需要があり魚市場ができた。
◆本町は西里・東里と違って街道の法隆寺門前町である。参拝客や通行人相手の商家集落として発展した。勿論、寺出入りの商人や職人も多く住んでいた筈。